| 写真で見る頌栄100年の歩み |
ハウ先生から家族への手紙(抜粋) |
2006年12月24日 |
※本学の創立者A.L.ハウは、来日当時よりアメリカの家族に多く の手紙を書いている。それらは、ハウの姪の娘、アリス・ハウ・ パーマー(Alice Howe Palmer、ニュージーランド在住)のも とに保管されている。今回、その一部がタイプされ、本学院長今 井鎮雄宛に1988年10月30日付けて送付された。当時ハウが自らの 生活や心境、また創立に至る経緯や初期の学院の教育、経営につ いて書き記したものを抜粋して訳出した。 (1)188ア年12用25日 神戸、日本親愛なるパパヘ
ティベッツ夫人など、終始変わらず元気な様子 てあられた方ですが、両腕を拡げて私の方にやっ て来られ、まるて長い間消息不明だった親友と突 然再会したみたいに浮き浮きして、幸せ一杯の微 笑みが顔中に溢れていました。けれど、あ互いの 顔ばかり見てもいられないくらいあまりにも興味 深いものがたくさんあって、私たちは他のことに も目を移したのてす。 私たちの船は午前1時ごろ湾の入り口に着きま した。けれど、夜間に港のなかに入るのが危険な ためか、それとも、ウオーカー船長が私たちに昼 間の入港を楽しませてやろうと思ったのか、私に は分かりませんが、とにかく1時から4時過ぎまで 船が錨を下ろして停泊してくれたことにとても感 謝しています。日が昇る少し前に私たちはデッキに 上がりました。私はその美しい光景を決して忘れ ることがてきません。船は、朝日で朱色と黄金色 に染まつた山々の前を通りました。そして、すべ ての乗客が待ち望んている光景、そうてす、日本 の人たちが愛する山、フジヤマが西側に、湾を進 みつつ左手に見えたのてす。空は晴れ、輝いてい ました。みんなでデッキで眺めているうち、誰か が先に白い雲のなか、その白い雲が山々に垂れ下 っているなかに、かすかな富士山の輪郭を見付け たとき−私たちはじっと目を凝らし、やがてゆ っくりだけれど確がに−類い無いその山がその 輪郭と白い頂を完会に現してきて−太古の昔 から変わらぬその雄姿が青い空に完全に澄んだ色 をして見えてきました。私は日本の人が、手て作 るものすべてにこの山を描く気持ちが分がりまし た。けれど今私たちは富士山の他にも目をやらね ばなりません−(最も美しいものを、ほんの一時 眺める以外に、そんなに時間があったれけではな いのてすが)。釣り舟が目に入り始め、興味深いこ とに年老いた女の人が漕いでいる様子でしたが− あれは男の人だと教えられました−キモノを着 ていました(腰て締めるガウンのようです。そし て頭に白い布を被り、それを顎の下で結んでいま した)。 この時までに十分陸地に接近していましたので、 両舷から、松の木の茂る岩の多い丘が海域のすぐ そばに突さ出ているのが見えました。まるで小さ な精巧な砦のような丘のそばを通過し−その麓 に散在する日本の村落が見え、また先程よりもっ と沢山の漁船が見えてきました。なにか、白い布 かむしろのような帆を立てて朝日の中て光ってい ます。富士山がもっと大きくなり−緑の丘が沢 山連なり−朝日を受けて銀色に光っているのが 見え、そして彼方に横浜が見えてきました。アメ リカやフランスの軍人たちの姿、赤い灯台船の姿 −これでサン・フランシスコがら日本までの航海 が終わったことを知らされました。その灯台船の 周囲をぐるっと回って私たちの船は錨を下ろしま した。それても海が浅いので、横浜から1マイル 沖に停泊していますから、ランチやはしけが来て くれて上陸させてくれるのを待たねばなりません。
−待つてください。今私何と書いましたっけ−
私はまわりの光景にすっかり気をとられて、上
陸のことを忘れていました。けれど横浜のアメリ
カン・ボードのルーミス師がやって来られ、伝道
教会からの手紙を私たちに手渡して下さいました。 ルーミス師は確か、キンポール博士とかおっし ゃる方を、その婚約者てあるヘス嬢に引き合わせ るために連れて来られていました。そのお二人と 少し話された後、皆て舷側をロープのはしご伝い にはしけに下りました。はしけには、私たちのト ランクや箱−帽子箱などです−や巻いた包みも 乗せられ、輝く朝日の下、波のきらめく湾内を陸 地へと漕ぎ寄せられました。 税関を出て、私は初めて人力車に乗りましたが、 それは暖かい歓迎、素敵な光景てした。その印象 については、あと10日程待ってくださいね。−神 戸ではママ方らの手紙が待っていました。クリス マスにもう1通、(解読不能)発で届きました。私は 元気で楽しく暮らしています。次の便でパパから も楽しいお手紙が届くことを願っています。しば らくの間、ごきげんよう。私は日本に来てよかっ たと思っています。 | ||